アテネ組について。 当時山本昌邦監督は、日本のサッカーの特徴、伝統を全く理解していなかった。 「ボールを奪ってから少ない手順で15秒以内にゴールへ」 言わば暴挙とも取れる試み、奇行に乗せられて、選手たちはあるべき方向性を見失った。 FW大久保は飽くなきチャレンジでゴールに迫ることが役割だったが、 A代表では効果的な横パスやバックパスが出来ず、一人から回りした。 DMF今野は凄まじいボール奪取力で存在感を見せ付けたが、 ミスパスで相手ボールになった後、追い掛け回すことなく体を寄せる事しか脳がなかったため、 ワーワーのダイナミズムを失わせる結果となった。 DMF阿部はセンターバックとボランチのポジションチェンジという、 最もA代表に近い道筋が与えられたが、残念ながら02ワーワーの主力組みの壁が厚く、 最終選考ではずされた。 そんな中で生き残ったのはSDF駒野だった。 両サイドでプレー可能という、ワーワーでは最低ラインの複数ポジ条件をクリアし、 地味ながら何故かそこにいるという、ある種必須の技能を引っさげて堂々のA代表入り。 彼は2010年の主力となるべきアテネ組唯一のワールドカップメンバーであり、 若き選手たちの先駆けとして大きな責任を担うこととなる。 次代のワーワーサカーは、彼、彼らによって作られていくのだから。 オフトが途中で更迭されたのはビックリだったが、アイコンタクト、ゾーンプレスなど 当時の日本に斬新なモダンサッカーを論理的に伝えようとして失敗した。 そんなサッカーの流行を追えない気質、 その頃からワーワーの芽生えがあったように思う。 次のトルシエはモダンサッカーに逆行するかの如くフラットすりーでワーワーに同化し、 ワーワーの後遺症をひきずり退任後、イスラム圏で宗教にのめり込んだ。 ジーコは自由奔放に選手を育てる(以前3バックは継承)。 尚且つジーコはサッカー界では神(論理的説明の付かない存在、何故だか セレソンの多くは口々に日本の気を付ける点はジーコが監督である事と公言して憚らない)。 成績如何に関わらず就任した時点でここまでの起用は約束されていた訳だ。