でも、ワーワーの本質が選手の意図的なプレイではなく、むしろそこから外れまくった 「有り得ない様な偶然」の産物だとしたら、選手に本当に必要なのは…  “一日一善”ですか? いや、引いて固めてくる相手に対しても、ガッチリでバックパスですよ。 このメンタリティが非常に重要。で、こういう相手になると、点を取ることよりも、 どれだけボール回しが長くできるかが、チームのプライオリティになる。 で永遠とDFとボランチ、サイドの間でパス交換が行われるの、、 「アハハハ マテヨー コッチニモヨコセヨー」って、、 それをうらやましく思ったFWがなんと前線から下がってボールもらいにくる訳だ。 もうね、超過密状態、、、 あのサイドへ、サイドへっつう遅攻でのボール回しはマジワーワーしているよな、、 どんどんスペースが狭くなっていく、敵味方入り乱れての団子状態、 で、もちろん相手側にボールをプレゼントする為の高度な戦略なんだが、 強豪から金星上げたり勝ちに近い内容で引き分けても 「こんな事もあるよね」「相手の調子が悪すぎたんだろうな」 「タイトな日程で疲労困憊だったんだろ?」 見事なぐらい日本が強くなったとは思わない日本人の過剰に謙虚な メンタリティがワーワーの源泉だと思うw ワーワーサッカーには大勝もなければ、大敗もない 相手が強ければ日本の評判は相対的に上がり、弱ければ評判は下がる だが、その評価はいったい何の意味がある? 肝心なのは代表の一試合において、日本が勝つとか負けるではなく 「いい試合をしたか」 ここにこそ最大の重点が置かれる 自分のチーム、自分のサポーターを楽しませるだけでなく 相手のチーム、相手のサポーター、さらに審判までもが 楽しめる試合にしなければならない だからドイツ戦で柳沢がユニフォームを破られてもらった イエローはワーワー的には百点だ。 周りを海に囲まれた小さい国で、みんなで仲よくやっていくのに 必要なのは「思いやり」ですから。 聖徳太子もおっしゃった。 和をもって尊しとせよ。 強い国とせっかく試合ができるんだから、相手につまらない思いをさせては いけない。弱い国とやるときは、なにより思いやりの気持ちが大切。 もちろんこれは、味方同士でも根本は一緒。 アイツだけがパスミスしたんじゃかわいそうだから、俺も俺も。 やっぱ日本じゃなきゃ生まれないよなー。ワーワー。 どっかの時点から、ワーワーをもって尊しとせよ、になったのね。 その空間で味方と楽しみながら、真面目にやっていると思いこますテクニック。 味方・敵・サポーター問わず驚愕するプレー(ポロリ)の要素を盛り込み それすら無かったかの様に繰り出す鬼ごっこ。 敵が何がしたいのか分からない、何をすればいいか分からない 思い通りにならない苛立ちを、ほのかに和らげてくれる宇宙開発。 和らいだその、敵が自ら作ったと言える心の隙を突きながら攻め 確変が起こらないとゴールを決めない頑固たる意志。 まるで、社会に出たばかりの女性を弄び、決して体関係に持って行こうとしない、 体の関係になったとしても、偶然に引き寄せられた感覚に陥れ、 「貴方だから許したのよ」の言葉を引き出す40代後半のテクニシャン男ではないか! 云っていることを単純化すれば、商業主義/拝金主義のせいで、セレソン でさえ'82のジーコのような創造性を失って醜くなっているというものだ。 そこで思っていたのは創造性あるプロスポーツの条件だ。 日本は最近でこそ格差社会が指摘され、子供の学費を稼ぐために援交する 主婦が出始めてきてたりする。だが識字率は高いし(総中流は崩れても)多く の国民は毎日の生活で食うことまで困ってるわけじゃあない。 これは日本が表向きは"富める国"であるためで、カビの生えたスポーツ論 で出て来る"ハングリー精神"を減じる環境を意味してる。だが、ハングリー 精神が生み出したものは激烈な競争と勝者総取りの商業主義スポーツかも 知れない。 その結果"カネのため"のサッカーが台頭し、"勝利"という単純で評価しやすい ものさしが標準化し、"効率重視の強いサッカー"を求めることが必然になって いるのが現在のサッカーなんじゃないのか。 一方、"プロとして食べていく"ためにJでもサッカーは為されているけど、 日本は上記の富める国ゆえに「リッチになるため」というより「サッカーを して暮らしていく」意味が強いんじゃないのだろうか。これは「サッカー そのもので自分の人生を愉しむ」ことに通底するはずだ。 日本社会が持つ豊かさが、結果的に「愉しむためのサッカー」を支えていて、 それが今となっては旧くて新しい「創造性あるプロスポーツ」につながる 可能性を残してくれているのかも知れない。 その辺りのゆとりが、"平安貴族的"とも評されるワーワーを裏から支えていたり してな。