トータルフットボール=西洋的合理主義の限界点 
ワーワーサカー=合理・非合理を超えた、日本人だけに可能な不可思議サッカー 

そこにはすでに戦術はなく、勝敗すら重要ではない。 
汚い反則もマリーシアもなく(お天道様が見てる)、 
サポーターは生暖かく見守るのみ(参観日の親のような感覚で)。 


トータルフットボールは攻撃が行き詰った時、クライフの個人技で何とか打開してたけど 
ワーワーサカーは特定の個人の力ではなくパッと見マグレや奇跡としか思えないような打開の仕方をするからな 
特定のスターに頼るのではなく敵も味方も霞んでしまう、一体誰に注目すればいいのか分からない 
まさにワーワーサカーはショービジネスと化したサッカー界のアンチテーゼ的存在と呼べるのではないか? 


近代サッカーは「数的優位」を作り出すために人とボールを動かすことが要求されている 
多数で囲むとなるとワーワーと近いはずのに何か違うのは何故だろうか 
やはり優しさが欠けているのか 


ボールを動かすとはいっても、 
やはり起点からゴールまででは最短距離・最小人数を計算してるようなふしがあるからな 
ワーワーのように起点からゴールまでに最長距離・最多人数をかけるスタイルとはかけ離れている 


いわゆる「近代サッカー」 
90分間の中に何百の「プレー」が存在する 
ワーワーサッカー 
90分間が1プレー 


時代は数的優位から精神的優位へ 
格上と見られる相手へも塩を送って動揺を誘うワーワー

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