アミバリズム的日本の風土か。 (←※注:「アニミズム」の間違い)
多神教・八百万の神などの宗教的風土にも結びつくな。
日本の気候風土では、
木はうっそうとし、葉は光を遮断し、湿度があって、多種多様な植物が茂る森を形成してきた。
森には様々な動物が共生し、人々は森の暗闇に畏怖を感じながら
森には神が住むとしてテリトリーを分けて、共生の道を歩んできた。
簡単にいえばもののけ姫の世界みたいなもんだな。
それに対し、唯一神的宗教が根付いた地域では、
日が指し、遠くまで見渡せる針葉樹の木が森を作っていた。
森は人間にとって資源の倉庫であり、フロンティアであり、切り拓いていくものだった。
いわゆる人間中心主義だ。その中で神は人の心の中に唯一として存在する。個人主義の原点だ。
科学が発達し、人の視界が拡がると
いままで目に映らなかったものが見え始め、キリスト教的世界観が世界に拡がったわけだ。
そして世界をある程度見歩き終わった人類はまた原点に戻り
東洋的宗教観に安らぎを求めようとしている。
この流れ、サッカーにも通ずるものがあるのかもしれない。
俺がレスしようとしてた内容とドンピシャだわw
アミニズムって奴かな (←※注:「アニミズム」の間違い)
一神教と多神教の概念の違いは日本サッカーと欧南米のサッカーの違いに通ずるモノがある
ボールやピッチ、天候、様々なモノに意思が宿り、それを操るのではなく、敬い、戯れる。
他の選手が神を敬い、戯れてるのに対し、
彼奴は時々本当にその身に神を降ろすからな……。やはり他とは少し違うところでカオス
を形成していると思う。
GKは時として巫女となるのか…
間違いでもない。中東はもともと針葉樹が多かったが伐採して植林しなかったとも
言われている。これは古代ローマや漢の時代の中国の伐採にも言えることだ。
一神教や独裁者が多い地域では確かに見通しが効く地形は多い。
アラブはオアシス利権を争っていた多神教をムハンマドに否定されたわけだが、
商人としてビザンチンと言う遠方を見てきた彼が一神教を創設したわけだ。
ユダヤ人で言えばモーゼだな。
植林はワーワーで言えば思いやりとか配慮とか譲り合いとかだろうなw
木々を植えて世代や地域を繋ぐわけだ。そして杜ができる。
個々の譲り合いからチームができパスサッカーが完成するわけだ。
てーと、ジーコはリーグ突破してベスト8や16にでもなろうものなら、杜のある神社に祭られるわけだなw
文字通りサッカーの神様になるわけだ。