最近どうもワーワーの根本には農作業というか米作りがあるんじゃないかという気がしてきた。
例えば、田植えでは、超人的な作業能力を持つ誰かが一人でいくらがんばったところで、
広大なたんぼ全部を1人で田植えすることは無理。それが村人500人を動員する作業なら
天才が通常500倍の能力を発揮しなくてはならないから、とても無理。
「みんな」の作業効率を少しづつ上げるのが有効、というかそれしかない。
だから、田植え歌で「音頭をとる」者、あるいは「あいつは今日は調子がいいな」という者
は必要でも、突出した天才にはあまり価値が無い。仮に通常の3倍の能力の天才が1人いても、
500人に1人なら能力は502人分になるだけだから、全体で見れば0.4パーセントの向上でしかない
からだ。これよりも各人が0.5パーセント能力を向上させるのが有効。
それに「俺はもっと自由にやりたいんだ」みたいなこというヤツがたくさんいたら、昔の農村では
米作りはできない。
だから、例えば、超絶的な天才プレイヤーの10番が王様プレイで召使にキラーパスを出しまくり、
みたいなサッカーは日本ではありえない。みんなでワーワープレス、みんなでワーワーパス回し、みんなのうちの
誰かが確変してゴール、みたいなワーワーサカーは、米作りに共通するフィット感がある。
選手が最初にジーコに求めていたのは「みんなでやるやり方を教えてほしい、決めてほしい」というものでは
なかったか?
「調子がいい」の「調子」ってもともとはリズムのことなんだよね。
もっというと、みんなの田植え作業の効率を上げる田植え歌のリズムがいいってこと。
初戦のオーストラリア戦で、みんなのワーワーの効率をあげる「調子がいい」田植え歌を歌うのはだれか。
田植えの似合わないサントスだけは無いような希ガスw
狩猟文化サッカーだと、天才がでかい獲物をゲットして、それをみんなに分け与えることで尊敬され、
「あいつがリーダーだ」となる感じか。あるいは欧州サッカーだと効率の良い狩猟のための役割分担か。
日本代表は、農耕文化サッカーで狩猟文化サッカーに挑戦状を叩き付けたのかもしれんw
タイやカンボジアとかは諦めが早い印象。
米作りじゃなくて米そのものみたいに、粘りがないというか。
ところで、ドイツが暑くなりそうだという朗報があるね
狩猟は、獲物を追い立てるヤツ、遠くから獲物を仕留めるヤツ、
近くで獲物を仕留めるヤツ、と異なる役割の人間が順々に機能していく。
稲作は、稲刈りが得意で田植が不得手なヤツも、田植の時期は田植にせっせと励む。
つまり、常に全員がプレーに関与していることを求められる。
FWが守備しなかったり、DFが味方が攻めているときに引いてたりするのは、
「田植なのになにしてんだ、下手でもいいからお前もやれ」
と批判されることになるわけだ。
全員総出の精神がワーワーの根底にある気がする。
大変だ!日本代表は大きな過ちを犯してしまった。
サムライブルーじゃ駄目だ。百姓ブルーじゃないか!
今すぐユニフォームの刃紋を消して、変わりに…
あれだ、頭を垂れる稲穂に変更しなきゃ!
川淵「さむれえ、やとうだ」
百姓達を救うべく雇われた侍がジーコ。
勝利の後、田植えしまくる人々を見遣りながら
ジ「勝ったのは(ry」
>>
それなんて「七人の侍」w
暇なんで仮説を立ててみる。
この手の助け合いgdgdサッカーやりそうな文化の育つ環境は
○ 農作物が育ち易い温帯〜亜熱帯
○ 「くいもんがない→じゃあ隣に奪いに行こう」とならない島国や陸の孤島(国土:文化領域が狭い)
おまいさんの農耕理論とイタリア理論はいいとこ突いてる気がするよ
ちなみにイタリアと言えば戦争に弱い事で有名だが、国単位でなく地区単位や少数の戦闘では異常に強い。
ソマリアかなんかでささいな誤解からあの米軍と小規模戦闘になって
ほぼ同数の戦力で押してたという記録があるw
タイの稲作ってえらい大雑把で、湿地帯に種ばら撒くって感覚。
農薬散布についてもそう。濃度の濃いところと低いところとまばらだったり。
タイの稲作見た後で、日本の水田見るとその美しさに涙が出るくらい感動する。
あの規律正しく並ぶ稲穂。機械がやってるといえばそれまでだが、
求めている最終形じたいがかなり違うのだと思う。
昔は田植え自体が一種の神事みたいなところもあるしなあ。
早乙女とか。